2005年 07月 29日
ナツメ構想 scene.01 ~恋心~ |
人が求める愛のカタチとは・・・?
自分に足りないものを他人に求める。
男女間にそれが成立したら、それは恋愛と呼べるものなのだろうか?
「男と女は太古の昔は一つの存在だった。」
とは、学生じだいの保健体育の教科書から。
長い人生の中で、男性なら女性に、女性なら男性に好意をもつことは何度もあることだ。
はたしてそれが何を意味しているのだろうか?
単に、生殖本能だ。 と答える人もいるかもしれない。
あたりまえのことすぎて、このことに深く考えたことがあっただろうか?
愛のカタチは様々だが、必ずしも異性に対して感じる訳ではない。
中には本来進むべき道を脱線して、
捻じ曲がった愛の表現方法を用いている人も多い。
そもそも、
「本来進むべき道」 「男はこうであるべきだ」 「女はこうでなくてはならない」
などといった観念も、いったいどこからきたのか疑問だ。
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学生時代、恋をしたことを思い出した。
自分の場合は恋と呼ぶにはまだ浅く、友情と呼ぶのがふさわしいのだろうが。
当時、生徒会役員だった私は、ある女性に興味を持った。
going my way(仮) さんは、当時の生徒会副会長。
恋愛感情というより、憧れだったのかな。
日々共に仕事をしていくうちに、少しずつ恥ずかしさが消えていく。
これが女友達というものだと確信して、だいぶその子とも仲良くなってから、
また新たな恥ずかしさ、とも言うべきか。 そんな感情が芽生えてきた。
恥ずかしいと言うよりかは、それをともなった安心感ともいうべきか。
世間でそれを ”恋” と呼ぶのかは知らないが、
その子と会って話をして、安心する時間が好きだった。
今思うと、なぜあのとき安心感があったのか、不思議で仕方が無い。
きっとそれが恋だったのだろう。
自分にはない何か。 自覚できていないけど、その子に何かを求めていたんだと思う。
もしあの時、相手も少なからず楽しい時間と安心を感じていてくれていたのなら、
今の自分が、もうひとまわり成長できる。 きっと報われる。 そうであったと信じている。
そんな going my way(仮) さんとは、今は全くつながりが無い。
学校も違えば、住んでいる地域も違う。
ましてや、恋だと自覚し始めたのはつい最近だというからまた厄介だ。
こんな経験、もう二度とできないんだろうな。
遅すぎた思春期。
気付くのはいつも全てが終わってからだ。
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結婚しなくても人は生きていける。
異性と交流がなくても人生は過ぎていく。
恋は、自分で自覚できないからこそ 「恋」 なんだ。
世間一般でいう 「恋愛」 という型にはまらずに、自分だけの思い出をつくる。
恋心を抱かない人間はいない。 きっと気付いていないだけ。
いつか、あの時恋していたんだな。 と思い出せる日まで隠れているだけなんだ。
赤い実はじけた とはまさにこのこと。 いかんせん、はじけるのが遅すぎたが。
どんな悲観論者も 恋をして変わる
選んだ道がもし行き止まりならそこで
迷えばいい
空は飛べないけど 翼ならあるのさ
Natsume Extend ......
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by natsumextd
| 2005-07-29 21:19
| 雑記